基隆  山内道雄

基隆には2007年と2009年の二回の渡航で4カ月ほど滞在した。
基隆は台湾北部に位置し、国際船が出入りする港があるややさびれた港湾都市だ。昔、日本軍が石炭を積み出した軍港であり、近年は物流の拠点として発達したところで、小さな山々に囲まれて起伏が多い。山の上から眺める港の風景は清々しい。雨がよく降るので「雨港」とも呼ばれている。日本の支配を受けたこともあり年配の人たちの多くは日本語を話す。英語でKEELUNGと書いて「キールン」と呼ばれているが、地元の人たちは自分の町を「チーロン」という。
人口38万ばかりのこの町は小ぢんまりとしておりむし暑く、車も多いので埃っぽい。港に面する山の斜面には民家がびっしり並んで建っている。家と家の間を細い路地が実にうまくつながっていて、ほとんど行き止まりにならない。台湾の人はなぜこんなに路地をつくるのが巧みなんだろう。香港でも、台湾系の人たちだけでつくる集落を歩いてびっくりしたことがある。目立たない裏山の斜面にはりつくようにして小さな家がひしめいてあり、その間を細い路地が迷路のように縫っていた。まな板や鍋がそこらへんにあるところでこどもたちは遊び、路地は生活の臭いで充満していた。
  

「日本の人ですか」
基隆に来て間もないころ、夕方になると夜市が立つ賑やかな食堂街を歩いていると、小ざっぱりとした感じのよい老夫婦から声をかけられた。そうです、と応えると、
「私は昔、日本軍の情報機関でお手伝いをしました。、、、少し行くと戦争のときの防空壕がありますよ。よかったら案内しましょう」
老人は私を連れてゆきたそうだ。奥さんも微笑んでいるので言われるままついてゆくと、路地を曲がりくねりしながら上へ上へと10分ほど歩いたところに封鎖された壕があった。(山のところどころには砲台もある)。私は壕よりも途中、路地のあちこちで見かけた犬や猫が多いこと、人の生活と路地が強く密着していることに関心があった。日本人を嫌う人もいるけれど、基隆はなぜか親切にしてくれる人が多い。
この町はカラオケが好きだ。山の上で、海に見える公園で、またうす赤い店内から歌声が聞こえてくる。日本の演歌も流れている。ある日の夕方、商店街を歩いていてふと、電気屋をのぞいてみると、主人らしいオヤジさんが入口に背を向けて体をゆらしていた。手にマイクを持って店の奥にあるビデオに向かって、ニックニューサーの「サチコ」を情感たっぷりに唄っていたのである。かつて流行った日本の演歌だが聞いているうちに不覚にも涙が出てきた。なんで涙が出てくるの。この身はどうなってしまったのかしら。コンビニでワンカップを買いたくなる。今日はこれで終わり。ほどよい疲労感が愉しい。いつもの店で食事して、宿に戻ってシャワーを浴びよう。明日は陽射しのよい時間に人混みの中を歩いてみよう。そのあとはまた、海でも山でも行けばよい。港町は好きだけど、漁港はすべて撮影禁止で監視の目が光っているので面倒だ。バスに乗って東北角海岸公路を走ってみようか。ここの岩場の風景はとてもきれいだ。などと明日のことをあれこれ想いながら帰路につく。
午前中はコーヒーを飲んだり朝市を散歩したりして、昼に市街の主な通りをひととおり歩いたあと、市バスに乗ってよく郊外へ向かった。基隆山には三回登った。市街から10キロほど離れたところにある標高約600メートルの山だ。背丈くらいの草で囲まれた急な石段を登る。この暑い中、汗だくになりながらやっとの思いで頂上にたどり着く。とにかく水を飲む。たくさんの蝶が草むらに舞っている。眼下に全基隆市、海が広がっている。せいせいした気持ちになってくる。草の中に座りこんで鳥の鋭い鳴き声を聞きながら風に吹かれていると、幼い日々が思い出されてくる。
  

私は愛知県西三河の藤岡村というところで生まれた。現在、豊田市に地名変更されているが、愛知と岐阜の境目にある小さな山村である。山で囲まれた狭間に100戸ほどの屋根がかたまってあった。父は、茶碗の原料となる白いさば砂(石)を山から掘って、水で洗い、トラックで瀬戸や多治見へ運んでいた。母は、現金にならない田畑の野良仕事で米や野菜をつくっていた。
幼少時代、なによりも私の心を満たしてくれたのは、母の笑顔であった。水泳やマラソン大会、試験など母の喜ぶ顔が見たくて頑張った、といえる。近所の友達とも夢中で遊んだ。庭先や田畑でたまころ(ビー玉)、野球、凧あげ、こま回し、川でうなぎ、どじょう、はよ(はや)、水浴び、山へ行けばわらびや水晶、へぼ(蜂)の巣をさがした。もう、きりがない。蛇は怖かった。細く光った目、黒い口からヒュルヒュル伸びる舌はとても気味悪かった。蝮をつかまえて自転車のハンドルに巻きつけて持ち帰ったことがある。焼酎に浸けておけばよい薬になるので母が喜ぶからだ。弱った蝮とはいえ、怖かった。うなぎの大きいのをつかまえたときは、わざと遠回りして友達に見せてから家に帰った。見せつけられたことの方がよほど多かったけれど。山間部ゆえ冬は寒く、大川へそそぐ小川のしぶきが草やねこやなぎにかかり、それが凍って、透き通るようなつららとなって、朝の光の中で白く光っている様子が今も目に浮かぶ。
  

基隆山の山頂から見て、すぐ斜め下に民家や墓地が集まっている山肌がある。九份(ヂュウフェン)である。「悲情城市」という映画のロケ地となったところであり、観光バスが頻繁にやってくる。芋団子、お茶、コーヒーなどがおいしく、シャレた民宿もあり、台湾と日本人で混雑している。坂道ばかりだけれど見どころの多い観光地で歩き疲れを感じさせない。私が行ったときは美空ひばりの「越後獅子の唄」が民家から聞こえてきた。
ひとつ隣の山の斜面にはりついた集落が金瓜石(ジングワシー)だ。戦中、日本の会社がここで大規模な金の採掘を展開した。太いコンクリートのパイプが山を下って海辺の大きな工場につながっているが、パイプは壊れ残骸と化している。13層(階)からなる工場は、土台のコンクリートの床、基盤の柱などが残っているばかりだが今なお、山肌に威容な姿を誇っている。金瓜石から流れ出る黄色い水が海の青を橙色に変えていた。工場の中の崩れた石やコンクリでできた隙間をねぐらにしている黒い若い犬がいたのでパンを放ってやったら穴から出てきて食べてくれた。元気にしているだろうか。
基隆川上流の入り口にある瑞芳(レイファン)で食べた腸詰めの焼きものはおいしかった。手押しの小さな屋台で旨そうなにおいをさせていたので、道路の端に座って食べたことがある。つま楊枝に小指大の腸詰めとニンニクを刺して、それを甘辛のたれにつけていただく。川の水は透けて魚の動きはよく見える。大きな橋が川を跨ぎ、四方を山に囲まれて瑞芳は美しい町だ。もう一度行ってもいいな。基隆川のさらに上流へ行くには、ここから平渓(ピンシー)線という短いかわいい電車に乗る。台湾の豊かな自然の中へ連れて行ってくれる。
  

私はこれまで生活の場である東京を中心に上海、香港、カルカッタなどアジアの主要都市を歩いてきた。路上で、体が反応する現実の断片をそのまま受け止める気持ちで人や街、これらを包んでいる時代、とくに街の中の人を撮ってきた。この基隆もその流れのひとつである。今までは私の興味、好奇心は人へ直に集中していたが、基隆では少し引いて、街の中の人をみていたような感想が残った。市街は比較して狭く、人の密度も薄いのでよく郊外へ出かけたためかもしれない。  
振り返って、人は基本的なところはどうしようもなく同じだ、と思う。時や場所により着ているもの、顔つき、態度、街の様子などは異なるが、人のまなざしや身振り、いろいろなところで不意に現れる人のイメージなどは同じだ、と感じている。不思議なことだ。すぐに言葉にできないものも写真は感覚的な体の反応でカメラの機能を使って写すことができる。生々しく定着させることができる。そして、被写体の孕む意味が印象や記憶に残ったりして他者へ伝わってゆく。撮り手は、被写体を選ぶのはその人であり、続けてゆけば自らの生き方をおのずと写真に託すことになる。                                         
私は、ただ見ているだけで体がゾクゾクしてくる写真が好きだ。被写体の放つ力がこちらを見返してくるような写真が好きだ。以前、ハワイで見た古い記念写真も忘れられない。夏草が繁り、すでに解体工事が始まっていた工場の入口に20枚ほどボロボロになった写真がたてかけてあった。工場が活況だったころ、ここで働いていた人たちであろう。肩を組んで笑いながらこちらを見ていたり、整列した集合写真であったり、収穫したばかりのパイナップルを両手で頭上にかざして微笑んでいる日焼けした黒い顔だったり、、、。見ているうちに写真の中の光や人が生気づいて動きだして迫ってくるような錯覚を受け、黙って見入るしかなかった。カルカッタでも同じような体験をした。市場の前の広場に落ちていた絵ハガキ。汚れてゴミ同然となった絵ハガキには昔のこの場所の光景が写っていた。丸いボンネットの黒い乗用車の前を白いワイシャツを着た男が暑さのためだろうか顔をしかめて歩いている。車の向こう側にも数人の人がいて、さらに後方に当時の市場の建物が写っていた。斜め後方からの光を受けてボンネットが白く光り、男の着ているワイシャツの背中が風をはらんで膨らんでいる。ノーファインダーで撮ったようななんでもない一枚だが、そのときの時間が生々しくよみがえってきて、確かにこんな時代があったのだ、と歴史を実感せずにはいられなかった。さらに、ある人の机の上にセロテープで止められていたキャビネには、曇りの日のフラットな光の中、街路樹の木の葉が写っているばかりであった。それなのになぜか心の中に深く入ってきて今も印象に残っている。  
街を歩いていて面白いのは、びっくりさせられるときである。これまでの殻が破られるような瞬間に出会ったときだ。思わずシャッターを切るしかないが、新しい自分に気づくチャンスである。身の周りや些細なところに面白さをみつけたときも新鮮になれる。細かい部分にもっともっと反応できるようになりたいものだ。
 

今からちょうど一年まえ、二度目に基隆を訪れたとき、車がたくさん走るメインストリートに接して、海の上へ大きくはみ出すように幅の広い歩道の橋が建設されていた。これが完成すれば人々が往来したり、そこで港の風景をゆっくり楽しめるようになる。今ごろ、すっかり出来上がっているはずだ。むし暑い中、あの人たちは汗をかきながら新しい橋の上を歩いているのだろうか。それとも雨に濡れながら、傘といっしょにぼんやり港を眺めているのだろうか。 
2010、7、27、記

撮影 
2007、5、26、-7、22、
2009、6、4、-7、27、